Mi viaje a Sudamerica             
                                 

11:  リマ   <ペルー>  (11月6,7日)

この旅も早くも残り一週間となり,最後の訪問国ペルーの首都リマにやって来た。
赤道にも近くなり,地球の反対側ブエノスアイレスからやってくると,だいぶ日本に近
づいた様な気になる。人々も髪と目の黒い人が増えインカ(モンゴル系?)を感じる。
 
ペルーは日本の約3倍の広さがあり,乾燥した海岸砂漠地帯には紀元前から幾つも
の文明が栄え消えて行った遺跡群がのこり,中部アンデスの山岳地帯にはかって
インカ文明が栄え,アンデス山脈の東にはアマゾンの源流地帯をなす熱帯ジャングル
が広がる変化に富んだ自然をもつ国だ。
遺跡好き,コロニアル建築好き,冒険好きな人には興味が尽きない国であろう。

かって広大なインカ帝国の首都として栄えたクスコと,空中都市マチュピチュ。
それを滅ぼしたスペインの征服者ピサロによて,南米植民地文化の拠点として
作り上げられた首都リマの町。この旅の締めくくりにそれらを訪ねる。
 現代のリマは,人口700万人を越す大都市ではあるが,南米の多くの国と同様
植民地時代からの栄光と影を色濃くのこしている。


< リマ市内 >

リマ到着は昼間のうちの到着の便を選び,空港からは少し高いが安心できる空港タクシーに乗った。
この街にも10年程前に出張で3泊したことがある。流石に空港ターミナルは新しくなり広くきれいに
になっているが,町の中心までの沿道風景はあまり変わっていない。
外郭地域には,貧しい小屋のような家々が沢山連なるところがある。
 治安の良くない旧市街はさけ,安心できるミラフローレス地区にホテルをとってある。

< ミラフローレス地区 >


【 ミラフローレスのセントラル公園 】

       【 ホテル:ホリディインからの眺め 】 →
        目抜通りホセ・ラルコ通りが交差する。
         左:セントラル公園,右:海岸方面1km


このあたりは,海岸に近い高級住宅地の繁華街で洒落た店やレストランが並び落ち着いた賑わいを
見せている。ほとんど雨の降らないリマだが,さすがに良く手入れされたセントラル公園は緑と花が
きれいだ。公園周辺には個性的なレストランやオープンカフェが並ぶ一画がある。夜の賑わいが
伺われる。
古く少し物騒なセントロ(旧市街)に替わって,隣のサン・イシドロ地区と共に現在のリマの中心地だ。

        ’94年,出張でこの街の別のホテルに泊まった時は,ホテルの玄関に防弾チョッキ
          を身に付け,ライフル(ショットガン?)を持ったガードマンがいた。
          当時ペルーは,ゲリラのテロ活動が活発でリマは不穏な情勢の頃だった。
          フジモリ政権が,必死にゲリラと戦っていた頃である。
          その後,’96年末の日本大使公邸人質事件を最後にゲリラ活動はほぼ収まり,
          少しは平穏を取り戻したのであろう。

          
    
< 海岸風景 >
ミラフローレスの海岸は,切り立った崖が連なる
独特な風景だ。

海岸の崖の上,太平洋を見下ろす一等地にある
”Parque del Amor:愛の公園”。さすがラテンの国の情熱か,ご覧の様な巨大な男女の像が!
還暦Usazitoには見るのもなにか恥ずかしい・・。観光客のカップルのなかには,この下で同じポーズで写真を撮るのがいて,仲間からヤンヤとはやされていた。               
【 リマ名物! 愛の公園 】

【南方向,防波堤の中程に高級レストラン:ロサ・ナウティカ】 【 愛の公園から,北方向の海岸 】

”愛の公園”から,海岸沿いに10分ほど歩くと,
新しく出来た観光スポット,ショッピングモールの
”ラルコ・マール”にでる。
 崖の上の弓状の地形を利用した,眺めの良い
モールに,土産物やレストラン,カフェ,遊戯施設
等があり,観光客や地元の人達で賑わっている。

 ”ラルコ・マール”から見た,”コスタ・ベルデ:
緑の海岸。浜辺に”レストラン,コスタベルデ”が
見える。前に来た事がある好いレストランだ。
崖の上には高級マンションが並んでいる。

< 旧市街:セントロ > 歴史的地域として世界遺産となっている場所だ。

 アルマス広場: 征服者ピサロによって1,535年に街つくりが始まったリマの中心の大きな広場。
 パステル調の濃い黄色に塗られた建物が多いのが印象的だ。
 ピサロ自身が礎石を置いて立てられた大聖堂を初め,Casa de Pizarro:現在の大統領府や当時
 からの古い建物が取り囲み,周辺には夫々由緒のある古い教会や沢山の建築物が建並んでいる。
 ”キリスト教の布教(と実は,金 の獲得)”に注いだ情熱と,権力の表現の名残が
 そのまま今に残る場所である。
 (それにしても,征服者ピサロの館に今も大統領府があるというのは,如何なものか?と思ってしまう)

【 カテドラル:大聖堂 】

【 正面後方:大統領府 , ガイドのセニョリータ 】
【 大聖堂正面の見事な飾り壁 】

【 内部には,宗教画や征服の模様の絵が飾られている 】
 こちらは,サンフランシスコ教会

修道院もある大きな教会。
宗教画や,宗教関係の飾りや用具の見られる
展示もある。
修道院の中庭を取り囲む広い回廊の壁と柱には
青色を基調にしたスペインタイルが張られ見事だ

そしてこの教会の地下には巨大な,
Catacumbas:カタクンバ,地下墓地がある。
まるで”インディジョーンズの地下迷宮”の様な所を
進むと,丸い囲みの大きな井戸のような中に
無数のシャレコウベが整然と並んでいる!
薄暗い電球の下,なんとも不気味な感じだ。
 作り物のお化け屋敷ではない,本物の迫力か。
【 サンフランシスコ教会 ,個性的な建築だ 】

  【 修道院の回廊 】


【 シャ,シャレコウベが! カタクンバ:地下墓地 】
サン・マルティン広場: アルマス広場にも近く,旧市街でもう一つの中心をなすPlazaであり,以前は
市民と観光客のスポットであったが,今は治安が余り良くないという。スリ,引ったくり等の体験談と,
それに対する注意が多くのガイドブックや案内に出ているのが残念だ。(旧市街全体)
ツアーバスはひと回りしただけだった。

【 サン・マルティン広場: 独立の英雄サンマルティンの騎馬像 】    【 広場・ 2 】

【 広場・ 3 】

【 周囲にも興味深い建築が沢山・ 4 】
< Restaurante ” Fuji ” >

ペルー料理を食べてみたいが一人ぼっちの高級レストランも淋しいし,ここリマではぶっそうな夜の
街の一人歩きも避けよう。ここはやっぱり安心できる日本料理屋だ。
 ホテル付のTAXIで送ってもらい,前にも来たことのある日本料理屋:FUJI へ。
店の前庭の,鉄格子の鍵をボーイに開けてもらって店の玄関へ。これは今も変わっていない。
この店は,リマの日本人には良く知られた店だそうだ。

あの’96年のゲリラによる日本大使公邸人質事件の時には,公邸内の日系人人質の為に毎日,
日本食の弁当を納め続けたという。Usazitoも日本のTVニュースで見た事がある。
 ”そうです。あの話には続きがありましてね。ペルー系の人質達(ゲリラも)には,別の所からペルー
料理が納められていたのですが,これを食べていた人達がそのうちに皆おなかを壊しましてね。
結局全員,うちのお弁当を食べていたのですよ。” と,ご主人が懐かしそうに少し自慢げに話して
くれた。
あの時,世界中の人が解決を願い祈っていたが,この人は現地で毎日奮戦していたのだ。

< ¿ Cómo está Fujimori ? >

街で乗ったTAXIの若い運転手が問いかけてきた。

  運転手: 日本人か?フジモリはどうしている? (やっぱりペルーの人には関心高いのだ)
  Usazito: いるけど,何してるか知らない。  (彼はホームページでアピールを続けている)
  運転手: お前は彼をどう思う?        (”日本人からの見方”を知りたいのだろう)
  Usazito: うーん,彼はペルーの為に沢山働いたと聞いている。君はどう思う?
  運転手: 確かに彼はインフレを止め,ゲリラをなくした。しかし○×△□?・・(理解できず)
  Usazito: 今のトレド大統領はどうだ?君達は,”フジモリ No。トレド Si”と言ってたのでは?
  運転手: そうだったが,トレドは嘘つきだ。何もよくならない。

このあたりが,今のペルーの人の多くの感情ではないだろうか,と思う。
超インフレを収め,ゲリラを掃討したフジモリ氏は,貧困を改善出来ないうちにその強引な手法と
腹心の過激な行為に足をすくわれ,日本にいる。 
原住民出身の今のトレド大統領は,盛んにフジモリ氏の”罪”を追求しているが,国内経済の再生は
進まず,不満は高まり支持率は低下しっぱなしだ。
  
      ペルーが,安定を確立し貧困を改善できるのか? そうなって欲しいと思う。

                         * * *


       さあいよいよ最後の行程,インカの都クスコと,マチュピチュ遺跡だ。
          なんと朝4時半にリマの空港に来いと指定されている。 早く寝なくては !