1:時代遅れ 2:ツクマンの月 3:フォルクローレの花束-① 4:フォルクローレの花束-② |
|
このフォルクローレの珠玉の一曲,”ツクマンの月”がUsazitoの最も好きな曲だ。 20代中頃のある夜,ラジオから流れてきたのを初めて耳にした時の不思議な感動を 今でも思い出す。 太いしわがれ声が,聞いたこと事もない柔らかなギターにのって,暖かく優美なリズムで 唄っていた。言葉は全く判らなかったけれど,あのしわがれ声のたくましさだけでなく, 暖かい優しさや繊細さ,ひろさが自然に感じ取れた。 あれが,ユパンキのサンバ,”Luna Tucumana” だった。 Atahualpa Yupanqui :アタウアルパ ユパンキ(1908-1992) アルゼンチンの至宝,南米フォルクローレの最高峰;ギタリスト,唄い手,詩人,思索家 アンデスの山や谷,パンパをこよなく愛し,そこに暮らすインディオや貧しい労働者の 代弁者,ギターを持った吟遊詩人・・・・,(私の乏しい語彙では到底表現できない!)。 ブエノスアイレス近郊の県に生まれ,幼い頃北部のツクマン州に移り住む。 家庭も近所も音楽(民謡?)にあふれ,ピアノ,ギターを学び才能を発揮していたという。 父親が早くに亡くなり,家の為に彼もあらゆる職業を経験しながらアルゼンチン各地を まわったという。そんな苦労や体験と彼の中に少し流れている原住民の血が, 彼の思索と音楽の才能を,ますます深く大きく優しくして行ったのでしょう。 その後のアルゼンチン,南米での音楽家としての活躍は絶大な支持を受けながら, 右翼政権の迫害を嫌って,フランスに移り住みそこを拠点に広く活躍した。 日本にも三回来日した。(後の二回のコンサートで,彼をまじかに聴く事が出来た) 彼のギターについて,こんな話を読んだ事がある。 さる音楽家がユパンキに, 「あなたは,セゴビアの様に弾くことが出来るが,セゴビアはあなたの様に弾けない」と。 ZAMBA : アルゼンチンのサンバ 6/8拍子の優美な民族舞曲の形式。ブラジルのやかましい”サンバ”とは全く別物。 昔,ケーナのウニャラモスや,加藤登紀子の唄ではやった”灰色の瞳”がこの形式です。 この名曲”ツクマンの月”を筆頭に,”希望のサンバ”他,多くの美しい曲があります。 さあ,聴いてみてください! ”ツクマンの月”を, アルゼンチンの サンバを! 1: ユパンキの弾き語り ・ ” ツクマンの月 ” (You Tube:動画) 2: ロス・チャルチャレーロス ・ ” サンバ メドレー ” (You Tube:動画) * ロス・チャルチャレーロス:人気,実力№ワンのフォルクローレグループ, 50年以上にわたる活動の末,2002年に惜しまれながら解散した。 この動画は,南米最大のフォルクローレの祭典”コスキン民族音楽祭”での 模様。4曲のサンバが聴衆と共に唄われている。 歌と演奏の素晴らしさはもちろん,無心に唄う聴衆の表情やスタンディング オベーションの熱狂を見ると,これらのサンバがいかにこの人達に愛されて いるかが,熱く感じられる。 ”ツクマンの月”も2曲目に演奏されている。 ユパンキも,この音楽祭の代表を務めたり,何回も出演したそうだ。 |
|
|
|||
アルゼンチンの美しい恋の歌。 2008年,Cosquin Folklore Festivalでのシーン。 人気の女性歌手・Soledadが、この曲の作曲者でもある フォルクローレの大御所・Horacio Guaraniを讃える コーナーで、本人と共演している。 Don Horacioは自身、シンガソングライタであり美しい 歌詞とメロディの曲を沢山作っている。独特のだみ声と風 貌で歌う様は、多くの人々に愛され尊敬されている。 |
|||
Don Horacioの自作自演の佳曲をもうひとつ。 アルゼンチンZambaには珍しく、アップテンポな曲です。 これもメロディと歌詞が大変美しい。 |
|||
|
|||
アルゼンチン北部、ウマウアカ渓谷の入口の町フフイ。 フフイを讃える楽しい御当地ソングです。 シンプルだが皆に愛されているフォルクローレの一曲。 人気グループ・Los Tekis(男の子達:ケチュア語)の 実力を感じさせる歌と演奏は、力強く楽しい。 リーダーが「7,8歳の頃覚えた曲」と紹介していました。 これは、Encuentro en el Estudio:スタヂオの出会い という番組での演奏風景の一部です。 |
|||
|
|||
さあ、ケーナの響きを堪能しょう! 演奏は、Mariana Cayon。これも2010年の コスキン・フェスティバルでの舞台。 ケーナでは、アントニオパントーハ、ウニャラモス等の 名手が懐かしいが、彼女は近年 彗星のように現れた”ケーナの女神”のようだ。 見事なケーナの演奏! ウーム、コスチュームもすばらしい・・・ (*途中、雑音が少し入ります) |
|||
アルゼンチンの日曜日の公園の光景。 人々がのどかに、生演奏にのって踊りを楽しんでいる。 小さな子供を抱いたお母さんも踊っている。 この国の子供はZambaのリズムに揺られてそだつのか・・ 曲は、アルゼンチン・サンバの古典とも言うべき 優美な小品、”4月7日”。 歌詞があって唄もよいが、ギター、ピアノ、チャランゴ等 の独奏でも味わい深くきける。もちろんこの演奏のように バイオリンでのsentimientoは、極めつけですね。 |
|||
パラグアイといえば、アルパ(パラグアイハープ)です。 南米フォルクローレの中でも、ひときわ明快な味をかもし 出す楽器ですね。 繊細で美しく、力強さも秘めたアルパの表現力。 一節奏でただけで、もうパラグアイ! 曲はこれまた代表的なパラグアイのcancion。 聴きましょう・・・・ |
|||
おそらくペルーでもっとも親しまれているであろう曲。 ペルーの自然・歴史・文化への愛と誇りが唄われている。 郷愁の感じられるリズムを持ったMusica Criollaの 分野の一曲。 唄っているのは、”ペルーの美空ひばり”の様に親しまれ ている、Eva Ayllon。 有名な”コンドルは飛んで行く”は,ペルーの山岳の音楽。 美しいスライドショーを見ると、また行きたくなる・・。 |
|||
|
|||
ボリビアを代表するフォルクローレのグループ, Los kjarkas(ロスカルカス)のヒット曲。SAYAという リズムのこの曲、フランスのグループにそのまま盗用され ”ランバダ”として、一躍世界中にひろまった。 (当然、その後の裁判で勝ち著作権を守ったとか。) ボリビアフォルクローレの楽しいリズムと、このグループ への日本のファンも多く、結成40年の今年(2011)も 記念ツアーで、日本を回っている。 現在、チャランゴ演奏のメンバーはなんと日本人。 この曲では、日本語の歌詞の一節も歌われている。 |
|||
|
|||
チリの女性フォルクロリスタ、Violeta Parra作の名曲。 ”こんなに沢山の事を与えてくれてありがとう”と唄う この曲。自身の過酷な経験の後の方で書かれたこの歌には、人々を慰め、暖め、勇気づける何かがある。 映像はアルゼンチンの女性歌手、Mercedes Sosa。 ”ラテンアメリカの声”、”大地の声”、”南アメリカの母”と 称えられ、西欧でも高く評価される彼女、愛称”ネグラ”。 ”ユパンキ”と並び南米フォルクローレ界の双璧だった。 2009年10月4日、74歳で亡くなってしまった。 彼女の死を悼む現地のニュース記事の中でも、 この演奏場面がリンクされていた。 名演ですね! アルゼンチンのあるFM局は、今でも毎日24時に彼女の 唄う国歌を流している。 ”Hasta siempre,Negra!” |
|||
|
|||
南米のフォルクローレ(民族音楽)には、伝統的な素朴な ものから現代の洗練されたもの迄お国ぶりの違いも含めて 多様なリズム、メロディがあり楽しめます。 アルゼンチンでは近年フォルクローレが再び見直され、 若手人気歌手、グループが活発に活動している様です。 この舞台の群舞と音楽で表現される素朴でストレートな 楽しさと、日本人にも感じられる懐かしい様なメロディ。 やはりフォルクローレの原点、アルゼンチンの人達の誇り と喜びなのでしょうね。 当日の実況TVでは、30分近くにわたり盛り上がって いました |
|||
南米のフォルクローレを、お楽しみ頂けましたか? |
|||
|
|||
ボリビアのクエッカのリズムを、お楽しみください。 中部コチャバンバ県にあるTaquiñaの谷の情景を唄って います。 歌っているEnriqueta Ulloa:エンリケ-タ・ウジョアは、 ボリビアの国民的歌手として親しまれています。 のびのある明るく優しい声に、癒されます。 |
|||
* 歌詞 *** | |||
Cunumicita は、(ボリビア)東部生まれの娘さんの愛称 この曲のリズム:タキラリは、東部の低地サンタクルスが 本場のようです。楽しいボリビアのリズムの中でも、 少しゆったりしたトロピカルな感じがいいですね。 情感たっぷりのチャランゴ(小型ギター風)の演奏は、 ボリビアのチャランゴのマエストロ、Alfred Cocaです。 |
|||
33:45 → 42:30 *** 歌詞 *** |
コロンビア第2の街メデジンに寄せて、 アルゼンチンのフォルクローレの作曲家・歌手のVictor Heredia が書いた美しい曲。 コスキンフェスティバルの舞台で、彼に招かれて共演した コロンビアのグループ:Suramericaのリーダーが、 アンコール曲として、こう紹介しています。 * 「この歌には知っていて欲しい小さな物語があります。 愛する我々の街メデジンへの歌を作曲した唯一のアーティ スト、それがこのVictorです。他の誰もが我々の国、街を 想ってくれなかった頃、Victorがやってきてこのすばらしい 詩を残してくれました。メデジンの人々、コロンビアの人々 我々の全てに、こう語りかけています:希望はある。正義, 自由そして全ての人々にふさわしい世界を持つ夢の為に、 戦う価値がある・・・と。 だから我々はVictorに感謝したい。全てのコロンビア人の名 において、我々の街の名において、愛するメデジンの感謝を 大いなる気高さに!」 |
||
|
|||
乱れなく軽やかに舞い響くケーナ。寄り添い戯れる伴奏の チャランゴはアンデスのそよ風か・・。 アンデスフォルクローレの代表的な佳曲です。 演奏はRaul Olarte(アルゼンチン・ウマウアカ生れ);現代活躍 中のケーナのマエストロ。 外連味のない確かなケーナの技術の上に、正統派フォルク ローレの香りと、穏やかな人柄まで感じさせる演奏ですね。 彼は’78年から長く、チャランゴの巨匠ハイメ・トーレスのグ ループに参加し世界中をまわり、テノールのホセ・カレーラス のワールドツアーにも同行しました。'97年、天皇皇后の ブエノスアイレス訪問では、御前演奏会を行いました。 それ以外にも日本に度々来訪し各地で演奏を行っています。 またアンデス音楽の普及と啓蒙の為、大学や小学校を訪問 してワークショップを開いたり講演を行なったりしました。 私も、福島の"コスキンエンハポン”と、横浜の”金沢教会” のライブ:2023年で彼を聴き、挨拶程度のことばを交わす 機会があり、感激したことを覚えています。 |
|||
=== 【付録 : お宝映像】 === * 若きRaul Olarteが、チャランゴの巨匠:ハイメ・トーレスのGP で演奏している映像です(1986年のコンサート)。 途中、招待奏者として亡きケーナの巨匠:ウニャ・ラモスの演奏 場面もあります。 ▼ https://youtu.be/VJLDE7jP5Ac?si=RxaoFobFh2AhEjV7 |
|||
|
|||
*** 歌詞 *** |
ペルーの海岸地方の歌・MusicaCriollaの代表的なもの の一曲。作曲者はこの分野で活躍した日系二世だそうだ。 「愛の想い出は、いつもほろ苦い・・か。」 集まりやビールの後、大声で騒ぎ歌うような歌?とか。 ペルー風のギターとカホン(箱)のみごとな伴奏にのって、 巨漢Arturo"Zambo"Caberoが個性的に歌っている。 親しみと尊敬を込めて"Zambo"(黒人,インディオの混血) と呼ばれ永年の人気者だった。 2009年10月に亡くなった時、ペルーの人々は大いに悲 しみ国葬並の葬儀で彼を送った。当時のガルシア大統領 はペルーの最高勲章を贈り”追悼の日”を定め、国の公共 機関には半旗を掲げて彼を称え偲んだそうだ。 不肖Usazitoも1994年、リマのペーニャ「Sachun」で彼の ステージを見た事があり、当時の印象を今でも想いだす。 |
||
|
|||
”花祭り”と並び、世界中に親しまれているフォルクローレ の代表曲。ペルーの「国家文化遺産」でもある(2004年)。 1913年、ペルーの古い伝承メロディから作られたこの曲、 1970年にサイモンとガーハンクルにより歌われて以来、 今なお世界中で聴かれている。 様々なグループ、歌手のバージョンがあるけれど、 この演奏が、いかにもアンデスフォルクローレらしい雰 囲気で、親しみやすいですね。 演奏は、Espiritu Andinoというグループです。 |
|||
|
|||
*** 歌詞 *** |
これもMusicaCriolla:ペルー風ワルツの名曲。 ペルーに限らず、”南米の曲”と言えるほど有名な曲です。 歌っているのは、アルゼンチンフォルクローレの人気歌手, Chaqueño Palavecinoです。 唄も演奏も、完全にアルゼンチンスタイルのワルツに なっていますね。 |
||
|
|||
「パラグアイの人が外国でこれを聴くと、涙を流して合唱す る?」とか。 Usazitoも大好きな一曲です。 Ypacaraiは、首都アスンシオン近郊にある湖。 * 「満月の暖かい夜、ウパカライの蒼い水のほとりで私達は 知り合った。君は古いグアラニ-語のメロディを悲しげに 唄っていた。私達は恋に落ちた・・・。 今、あの柔らかい唄声は届かない。 どこにいるのだろうか、Cuñatai ! (=Mi amor)」 不思議な魅力の歌声は、PERLA。パラグアイで育ち、ブラ ジルで大成功した女性です。1952年生まれ。 |
|||
|
|||
*** 歌詞 *** |
アルゼンチン北部、世界遺産でもあるウマウアカ峡谷。 静かで特異な景観の数々と、今なお続くインディオ文化と 生活の陰影を色濃く残す、アンデスフォルクローレの故郷 です。 この曲は、そんな峡谷への愛着とノスタルジーを、静かに 温かく唄ったものでしょう。いかにもアルゼンチンのアン デス・フォルクローレらしい傑作です。 作曲者:Ricardo Vilcaはこの地方の音楽、文化に 深く大きな影響を与えた人と言われています。 この演奏は,アルゼンチンのロックGp:DIVIDIDOSに 招かれて、ロックコンサートで共演した時のものです。 唄声は(聴衆も)いかにもロックスターのものですが、 Ricardoの演奏もすばらしく、大評判になりました。 この曲を聴くたびに、私も巡った峡谷を思いだします。 |
||
|
|||
*** 歌詞 *** |
さあ、この花束をこの曲で結びましょう。 「南米の母」:メルセデス・ソーサが、 この曲を作った「アルゼンチンのボブディラン」とも呼ばれた Leon Giecoと共演しています。(1984年のコンサート) * ただ神に祈るのは、自分が; 痛みに無関心でいないこと、 不正に無関心でいないこと、 戦争に無関心でいないこと、 欺瞞に無関心でいないこと、 未来に無関心でいないこと。 |
||
♪ 南米の国々の歌巡り、またいつか出掛けましょう ♪ |
|||
戻る → | → | → |