Mi viaje a Sudamerica             
                 

14:  < リマ ・ 帰国へ >  (11月11日)

各地を夢中で廻っているうちに,ついにこの旅も最終日となってしまった。
当初の予定ではナスカの地上絵を考えていたが,マチュピチュの素晴らしさに
すっかり満足し,気持ちはすでにこの旅を終わっていた。
最終日は,リマでのんびりしよう。


< PACHACAMAC:パチャカマ遺跡 >

”のんびりしよう”と言いながら,また出掛けてしまう,日本人;Usazitoの悲しいサガか?
リマの近郊にある,プレインカ時代からのパチャカマ神殿跡を見にでかける。
この半日ツアー,この日の客は私だけ。ガイドのSeñorita Rosaと運転手付デートの様なものだ。
旅の最終日を,穏やかに贅沢に過ごせそう!

Barranco 地区

まず連れて行ってもらったのは,新市街のミラフローレスの南に隣接する小さな街,バランコ
案内書や,旅行記ではほとんど紹介されていない所だが,個性的な雰囲気ある街のようだ。
昼間の今は,ただ静かな落ち着いた街の様子だが;
夜になると芸術家や音楽家,若者達の集まる,小さな酒場やレストラン,ペーニャ等が賑わうエキゾ
チックでロマンチック,ボヘミアンな雰囲気が素敵だ・・・と,Rosaは言う。

海に向かって下る小さな谷間に沿って,アートな
装いの小さな店が散在する小路など,そのまま
遊園地の中の様な雰囲気だ。

”溜息の橋:Puente de los Suspiros”と呼ばれる
歌に唄われた古びた鉄の橋がある。
「恋人達が,息をとめてこの橋を渡れば,夢が
かなう」そうだ。(二人で渡ってみたのだが、)

昔,霧の多いこの地で迷う漁師や旅人を救った
という,古い教会堂も可愛らしい。

【 古い教会堂 : Iglesia La ERMITA 】


バランコの海岸の景色と海の空気を楽しみ,
ゆったりドライブ。
               
しかしこの場合,二人きりと言うのも一寸困っ
たものだ。Rosaは流暢な英語で,一生懸命
説明してくれるが
Usazitoの英語力では,半分位しか判らないのが
もどかしい。
(私の英語は,漢字混じりの香港英語なのだ)


パチャカマ遺跡:

リマの南,約30kmの海岸近くにあるこの遺跡,インカの時代以前から栄えインカに統合された
パチャカマ文明とインカ文明の混ざった,神殿,ピラミッド跡などが見られる。
ペルーの海岸地域では,北の方から南の方,ナスカなど多くの古代文明の遺跡が存在している。
(リマの街の中にさえ,古代ピラミッド:神殿の遺跡があり今尚発掘中である。)
ここパチャカマ遺跡もその内のひとつだが,日干しレンガを積み重ねて造った構造は,雨の少ない
地域とは言いながら,長年の風雨や地震それに征服者の破壊にもあったのであろう,
多くは崩れかけて砂山の姿にもどろうとしている。

【 神殿跡 】 【 立派な大通り 】
 【 太陽の乙女の館 】
まるで”女子寮”。MAMACUNA(母)と呼ばれた寮母?が,
太陽の乙女を教育をしていたという。

 【 ピラミッド跡? 】
 
 インカの皇帝に捕らえられたUsazito
  家来が盾を持っているではないか!


  (TV局の撮影だった。”盾”は照明板....)



 海を見渡す気持よい高台のテラス。
   高貴な人がすわる王座が,日干レンガで
   しつらえられている。

    【 沖の島は,”パチャカマの娘達” 】

   しずかで不思議な風景のパチャカマ遺跡と,のどかなデート,いやツアーが楽しめた。

* * *

ミラフローレスの街に戻った。ここに来て愛用の靴,ホーキンスの底がはがれていた。
流石に1ヶ月の旅は老靴のお前にはキツカッタのだろう。長年愛用してきたがよく頑張ってくれた。
裏通りに靴磨きスタンドを見つけ貼り付けてもらう。よし,これで一緒に日本に帰れるぞ!

遅い昼食をと,裏通りを歩いて行くと,小さな中華料理屋があった。
メニューを見る。
Wang Mieng con pollo> と言うのがある。       ( これはもしや,<温麺? )
    Usazito: ” ¿ Ésta es la Tang Mieng ? ”  ( <湯麺ですね?> )
    Señora: ” Si , Señor ”           (  中国人マダムもにっこりと,理解)
よかった!,大好きな湯麺に鶏のササミが沢山のって出てきた!
しかし,フォークとスプーンが出てきたではないか!  ( こんな物で,ソバを喰えるか?!)
    Usazito: ” ¿ Tiene los palillos ?”    (はしなんてスペイン語,役に立った !)
    Señora: ” Si , Señor ”                            ( 箸を持って来てくれた )
久しぶりに食べるさっぱりスープの湯麺,美味かった!
        しかし,何という私のスペイン語か?!,やはり漢字まじりだァー!


< 帰国へ >

最終日のリマ,おだやかに過ごせた。 とうとう南米ともお別れだ。


ペルーで,フォルクローレを聴く機会が取れなかった事だけが心残りだ。
夜7時,遅いチェックアウトでホテルを出発,ホテル付TAXIで空港へ向かう。

世話になった運転手のRaul の運転は上手いが,リマのラッシュは怖い。前を見ていたくない。
少しでもあいていればすかざす割り込み,もたもたする車には容赦なくクラクションの嵐,それも
日本では聞かれなくなった,けたたましいトランペットホーンだ!
混んだ路をさけスラム街の様な所も猛スピードで駆け抜ける。

無事空港に到着し,Raulともお別れだ。約束の料金の2倍相当の札だったが

 ” Raul,楽しかったよ,つりはいらない。君とペルーの為に!” と,みなあげる。
 ” Muchas gracias señor!,Buen viaje a Japon!”  と,Raulも感激の握手。


                     



こうして,私の南米旅行は終わった。
 
さようなら,南米の国々,素晴らしい旅をありがとう!




     リマ発,11月12日午前1時30分のLA600便にのり,ロスアンジェルス乗換えで
     成田には,11月13日午後3時半に無事到着した。
     10月14日の出発から31日間,丁度1ヶ月の旅だった。