Mi viaje a Sudamerica             
                 

 5: サルタ  -2/2    < アルゼンチン>
 
  サルタを基地に行ってみたいところは幾つもあったが,日数の取れないこの旅で
  一つだけ選んだのは,ウマウアカ渓谷めぐりだ。
  アルゼンチン最北部,ボリビア国境にも近いここは,すでにアンデス山脈にかかる高地の中の
  谷間で,インディオの村々や乾いた山々などの景観と空気が見られる。
  ほんの数ヶ月前に世界遺産に登録されたという。
  そして,世界中に知られたフォルクローレの曲,”花祭り:エル・ウマワケーニョ”の土地である。

  

<ウマウアカ渓谷:Humahuaca ツアー>
朝7時,ツアーバス(ベンツのマイクロバス?)に乗って,ホテルを出発。
サルタから北に片道150km以上の路を,谷を巡り,村々に寄りながら往復する。
今日の仲間は男3,女9人。私とノルウェーから来た夫妻以外は皆ブエノスアイレスから来たアルゼ
ンチン人だ。 ガイドは誠実そうで明るい若者,にぎやかな旅になりそうだ。

サルタの街を抜け小さな峠を登りだした頃,木々の生い茂る何の変哲もない道端にバスは止まる。
”朝の森の空気を楽しみましょう”と言う。
確かに,ひんやりとした新鮮な山の空気ではあるがそれだけ・・・。この意味は後に判った。
走るにつれ周りの景色は,”宇宙の様な”深い蒼い空の下,乾いた山肌の連なり,赤い土,
サボテン,乾燥した空気,強い日差し,に変っていった。





バスは快調にとばし,フフイの街を過ぎる。
      ・・・ 「ここにも ”ビバ・フフイ” という好い曲があるなぁ。」と思いながら。
この辺りから,周囲の山々がいろいろな色を見せはじめる。
”七色の山”と呼ばれ,”南米のグランドキャニオン(少し大げさだが)”とも言われる
ウマウワカ渓谷の始まりである































プルママルカという村に到着。
バスを降りて空の蒼さにビックリ!。ガラス越しでは判らなかった深い蒼。強い日差し。
空気が澄みきって乾燥している高地ならではだろう。
背景の山々の,何層にも赤色の度合いを変えるむき出しの山肌の強烈な色彩。
赤い土の日干し煉瓦で作られた村人の家々,真っ白な教会の壁。
観光客と広場にある土産売りの人以外,ほとんど人影は無く音もない静かな村。











【 プルママルカのPlaza前のカフェ 】
【 サンタロサ教会:300年以上の歴史らしい 














【人影もない村の目抜きどうりに怪しい男が!】
 















【 七色の山 の撮影ポイント 】

【マイマラにある”画家のパレット”,山肌が面白くきれい】
前方の起伏に点在するのはアンディアーナ達のお墓である














【南回帰線:南緯23度】 ティルカラ付近
日本の冬至に,太陽はこの上に来ている
(ちなみに,北回帰線は台湾を通っている)
【砦のような城のような,印象的な岩山】
下の草原は牧場



 ウマウアカの町 に到着









     1594年に宣教師によって作られたこの村は,当時交通商業の要衝として栄えたという。
     スペインはペルー,ボリビア方面からこのウマウアカの渓谷を通って,アルゼンチン全土
     へ南下していったのだろう,
     今でも陸路ボリビアとの行き来の町として,また北部アルゼンチンの観光の目玉として
     その名が知られている。この町のカーニバルの様子を歌ったフォルクローレの名曲,
     ”El Humahuaqueño:ウマウアカの人”,邦題”花祭り” は世界中余りにも有名だが,
     ここまで来る人はさほど多くない。
     高度3000mに近い,高地の町である。





町の中心石畳のPlazaを見下ろす,立派な独立記念碑や古い教会や時計台などがあり,
露天の土産物屋,カフェなどがならび観光客でにぎわっている。
高度と強い日差しで階段を上るとすぐ息が切れる。
しかし不思議と汗はかかない。そうとう乾燥しているのだろう。















 


【 広場を見おろす独立記念碑 】

【 上から見た広場方面 】















【ウマウアカのレストランにて,Salud!】


ツアー仲間の,ブエノスアイレスから来た女医さん
グループと一緒に昼食。




サルタで開かれているアルゼンチンのお医者さんの学会を抜け出して遊びに来たこのDoctora達
陽気で親切,muy simpatica(好ましい,感じよい)だ。(こんな女医さんなら是非診てもらいたい!)
一日中一緒に行動しすっかりうちとけた。

  Doctora : ”どうしてここに来た?”
  Usazito: ”アルゼンチンを旅するのが,夢だったから。”
  Doctora : ”なぜお前は,一人で来た?ファミリアは?”(必ず出る質問。家族を大切にするラテン
                               の人には,信じがたいのか?)
  Usazito: ”妻は心臓が悪くこんな旅はムリである。息子が世話しているはずである。”  
                            (”身体の悪い私をほうって!”;妻の声)
  Doctora : ”カワイソー!,ところで病名は?”     (さすがお医者様,専門的な質問だ!。)
  Usazito: ”うーん,BLOCK completo? (完全房室ブロック)だ。Paso marca?を入れてる”
  Doctora : ”そうか Marca-paso(ペースメーカ)か,オダイジニ・・・”    (わかってくれた!)
                 ”お前は,カステジャーノ(スペイン語)をよく話す。何処で習った?”
  Usazito:  ”ありがとう,日本で勉強中である。先生はホンジュラス人で,
                             あなた方と同じくらい美人である!”
  Doctora : ”   !”
  
   【 こうして書いてみると,医学用語をまじえた流れるような会話みたい?だが,私の会話レベル
    の実態は,まぎれもなく幼稚園児レベルである。せっかく教わっている文法も浮かぶまもなく,
    推理力と連想力を総動員して聴き,知っている単語を並べるのに精一杯である。
    それでも知っている単語と僅かな文を話しているうちは,日本人のローマ字風発音は,英語
    圏の人の,むにゃむにゃした発音に比べかなり,きれいな?スペイン語なのだろう。
    お世辞が大半としても,意志が通じ少しはコミュニケーションが出来るのが,嬉しく有難い。
    帰ったらもっと真面目にスペイン語を勉強しよう!】


 ウマウアカで昼食,休憩した後帰路についた。
バスの中で初めてマテ茶をいただいた。アルゼンチン(とパラグアイ)の人達にとって日常的に愛さ
れ飲まれているマテ茶。現地の人は何処に行くにもポットと道具を持っていく人が多いという。
小さい瓢箪のようなくびれた容器に茶葉をたっぷり入れお湯を注ぎ,ボンビージャという金属製のストローの様なもので飲む。家族や親しい人達で一口ずつ廻し飲む。
レストランやカフェでは,この飲み方はないようで,旅行者にはなかなか飲む機会が無い。
 ”マテ茶はどう?”,”おいしい,好きだ”。 味は,日本の緑茶に似ていて,もっと苦味あるいは
香ばしさが強い。濃い緑茶の好きな私には丁度好い。

ウマウアカの谷間を戻りながら,ティルカラという所ににある遺跡に立ち寄る。
小高い丘の上にあるこの遺跡,どういう歴史があるのか結局判らなかったが,この丘の上から見た
雄大な谷間の景色はすばらしかった。

【 遺跡のある丘からの眺め 】



















【 丘には巨大なサボテンが林立 】


【ティルカラの考古学博物館の庭にあった
 石柱:Monolito, 人の姿をし,下方には子供の姿も
刻まれている。高さ2m位】












【初めて見る配色のアルパカ】
リャマ,アルパカは白色ばかりではなかった。

【 帰路のひと休み。マイマラにて。】
インディオの親子が土産物を売りにくる



帰りのバスの中,インディオの子供達に上げる為
持ってきた千代紙で,折り鶴を折って見せたら,
”Fantastico !”と大好評。
バスは折り紙教室と化す。中には”これに漢字で
サインしてくれ,お土産にする”という人まで。
日本の技術は,カメラ,トランジスタだけではない!
と知らしめて,技術屋;Usazitoは一人満足。

朝通過したフフイの町に立ち寄るが,プラザ周り
の旧政府庁舎を見たのみで残念であった。
【 フフイの政府庁舎から,広場を望む。 】
楽しそうな町なのだが,ゆっくり見れないのが残念】

 こうして8時頃,ウマウアカ渓谷大ツアーを終え,サルタの街に帰ってきた。
各地をゆっくり,心ゆくまでという訳にはいかなかったが,
北部アルゼンチンの大自然と原風景を眺めることが出来て,満足だった。

    あのアルゼンチン・フォルクローレの,偉大なるアタウァルパ ユパンキが唄った世界,
    乾いた山,大地,小道,空,雲,風,月,美しくも厳しい北部の大自然。
    その自然とともに生きるガウチョや,貧しく優しい人々の嘆きと願い。

    それらを思いながら巡った,ウマウアカ渓谷だった。
 



 さて明日は一気に南下し,大西洋岸パタゴニア,バルデス半島に向かう